茶の湯の歴史をアバウトに

茶の湯の歴史をアバウトに

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茶の湯を海外に紹介した「岡倉天心」

岡倉天心といえばフェノロサとともに全国を歩き回り、西洋の美術にも負けない日本美術を発掘・調査して海外へ紹介した美術史家。芸大・美大に行けばほぼ間違いなく学舎内で銅像と出会うことができ、一回は写真のお供になっている芸・美大生にはわりと身近な存在。1906(明治39)年にニューヨークのフォックス・ダフィールド社から『The Book of Tea(茶の本)』〜茶道を通した日本文化の紹介本を出版している。古刹の仏像や浮世絵など今でも見ることができるのは岡倉天心の偉業のおかげといっても過言ではないでしょう。Amazonでは村岡博訳の「茶の本」がKindleで無料で読める。

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明治に出版された『The Book of Tea』。現在翻訳本も出ていることからも茶道の歴史本のような扱いも見受けられる。

茶の湯は『禅』と直接的な関係はない

禅庭で有名な枯山水と茶庭は直接関連はなく、枯山水と侘も直接関連はない。しかしどういうわけか関連付けられて語られる機会が多いよう感じる。また『茶道』とも言われるが、近代になって千家が家元制となってからの呼び名である。同様のものに『武士道』『弓道』『剣道』などがある。『道』がつくものはほとんど近世・近代にできたものであり、千利休が生きていた室町・安土桃山時代は『茶の湯』、『剣術』、『弓術』などとも呼ばれた。

千利休以前にも茶を飲む習慣はすでに伝来しており、諸説あるものの奈良時代(西暦778年)に茶木が大陸から伝来した説もある。茶葉の精製法や飲用方法も同時に遣唐使によってもたらされた。現代の抹茶に近い飲用法もあった。

そして700年以上過ぎた室町・安土桃山時代に、喫茶は茶の湯と呼ばれるようになる。茶の湯は寄り合いが行われる座敷内に釜などの茶道具が置かれ、その場(客前)で点前が行われる形式である。『茶湯』という文字は、文明十八年『法華宗/本法寺法式』の中に初見される。このことからも禅に限らず当時町衆や各宗寺院、武家でそれぞれ嗜まれていたことがうかがえる。

『一、 凡夫の習、自然の過失あって御ふしらむをかふらむ時、訴訟間自坊に蟄居仕らば、侘事のために一人とは自然の参会を仕へし、其の外は二人三人共寄合、茶湯等賞玩の儀あるへからす候上は、他坊へ立いり、檀方へ不可出入候』

西暦1484年に法華宗(日蓮宗)の日親が定めた『本法寺法式』の中の一節より

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